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ぱちり、
「いっ、て、」
部屋に漏れた声を拾うものはいない。ただ一人で座り込み、音を鳴らした銀色のそれに目をやりつつ自身の手の指を見る。
なんてこった。深爪だ。
久しぶりに使った爪切りは銀色に光るだけでなんの責任もとってはくれない。もうお前なんて使ってやらないからな。
思わぬ失敗に気分を害したので、そう。ボールでも蹴ろう。立ち上がりながらそう心に決めた。
グラウンドに向かおうと扉に近づけばまだ何もしていないのに開閉音がした。耳に慣れたぷしゅりというすかした音だ。
「なんだ、お出迎えか」
驚いたように少し目を見開いたガゼルの姿がそこにはあったが、生憎深爪をした時以上のリアクションはとれなかった。俺のこいつに対する感情は深爪以下なようだ。それを知ったのはたった今である。
「何か用か」半目で問えばガゼルは怪訝そうな顔をする。あ、その、片眉を歪めた時の表情は好きだ。この感情は深爪に対するそれ以上だと確信が持てた。ガゼルに対する全てが深爪以下でないことを確認する。
そんなことなど露ほども知らないガゼルが一言「私はコーンポタージュが飲みたいんだ」と言った。今度は俺が怪訝な顔をする番だった。ガゼルは普段からなかなかに突飛である。これには慣れない。
「・・・あん?」
「だというのにどの自販機にも売っていない」
「ああ・・・そう・・・んで?」
「私が見逃しているだけで、どこかに売っているかもしれないと思ったんだ」
「言っておくがコンポタ売ってる自販機なんざ俺は知らねぇからな」
「そうかならば用はない」
ああ本当にそれだけなんだな用。なんだこいつ。「おいそれだけか」納得がいかない。踵を返したガゼルの頭を鷲掴む。
ガゼルが不満そうな声を出して自分の頭に当てられた俺の腕を取る。
ここで思い出したが俺は深爪で機嫌が悪いのだった。
「もしかしてそれ聞いてまわってんのか」
「そんな阿呆な真似をするわけがないだろう。君とグランにしか聞いていない」
「あっ、そ」と腕を引くと俺の腕を掴んでいるガゼルの腕までついてきた。こいつまだ離してなかったのか。いくら腕を引いてもガゼルの腕がついてくる。
思わず眉間に皺が寄る。ガゼルの視線を辿ると俺の指先に行き着いた。凝視するほどの指ではないと思うのだが。思い当たることといえば、
「深爪したのかい」
「まぁ、な」
「ふん・・・?」
ニタリと笑うからドキリとした。などと考える前に腕が引かれる。あ、と思った瞬間指先に生暖かい感触。ああこいつにも冷たくない部分はあったんだよな。なんて、
再認識している場合か。食いやがった、コイツ。人の指。突飛だ。なかなかに。
ガゼルの口に含まれてしまった指先に意識が集中する。爪と指の間に舌を入れ込むように舐められる。もちろん入るはずがない。
指先から染み込むこいつの唾液が、まるで血管に入り込み身体の中心に火をつけたような。
率直に言えば、興奮した。
「なに、してんの」
「顔、赤いよ。指舐められて興奮してるのかい」
見透かされたようで悔しいが、ガゼルの言う通り自分の顔が赤いのだとしたらそれも仕方がない。
「お前こそ指舐めて興奮してんじゃねぇの。変態」ガゼルが興奮しているかは知らないがそう見えるから言っておく。
しかし鼻で笑われ口元が引き攣った。人の指を口に含んだまま「私はグランの指の方が好みだ」などと抜かしやがる。指をくわえたままなせいか先程から不明瞭な発音に、覚えるのは苛立ちだけではないだろう。
だがこんなことを言われてしまっては苛立ちの方が勝つ。よりによってグランだと。
どう考えても挑発されている。これに応えない手はないだろう。
うすく笑っているガゼルの胸倉を掴みあげて部屋に引きずり込み、鍵を閉める。
俺はボールでのストレス発散を。ガゼルはコーンポタージュをそれぞれ諦めることになった。