色盲ガゼル
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風介の世界から、色が消えた。
君のその燃えるような髪が好き。太陽を孕んだ瞳が好き。蜂蜜をかき混ぜたようなその黄金が好き。君の持つ色彩がとても好き。
「だから私は、赤も金も好きだよ。バーン」そう言って笑うガゼルが幸せそうに見えたのは気のせいではなかったろうか。
気のせいではなかったろうか。
「もう見えないんだ。」
全色盲?全色弱?だかなんだか。よくわからない言葉を押し付けられ思考が鈍くなったのは薄暗い病院の一室でのことだ。
本来は遺伝でだとかX染色体がどうとか女性には無い現象で男性にも稀にしかないだとかつまり極めて稀だとかどうでもいいことをベラベラと喋る医者を他所に、俺は別室で眠る風介のことを思った。
お前の世界における俺の存在価値は失われたのではないか。部屋の隅に置かれた鏡に反射する赤をどうしようもなく見つめた。
風介の好きな赤も金も、もう存在しないのだ。
風介の世界から色が消えた。あいつが好きだと言った全てがそこから消え失せたのだ。
詳しい説明は聞き流してしまったのでよくわからないが、短い樹海生活でできた頭部の傷が原因のようだった。
ガゼルと二人でエイリア学園からの脱走を図り、樹海で生活した。生き物がいるので食料にはあまり困らなかった。もっと長く居ればいずれ困っていたかもしれない。
雨の日は足場がぐずついて不快だった。其処此処にある窪みに足を取られることも多かった。その中で一度、あれは運が悪かったんだ。
人が踏み固めたであろう道の端に少しの傾き。晴れた日にはそう危険ではないだろう斜面にガゼルが滑り落ちた。間抜けと笑う暇も無かった。
落ちた先に生えていた木に打ち付けた頭から血が流れた。泥と血が混ざり合っていくのが気持ち悪かった。まさかこんな、何の危険も無さそうな道で。雨でぬかるんでいたというだけで。それは失われるようなものだったろうか。
ピクリとも動かないガゼルを担いで樹海を抜けた。脱走してから数日過ごしているうちに人里近くまで来ていたようだ。その時ばかりは助かった。
なんとか病院に辿り着き、ガゼルを見てもらい、手術だなんだと過ぎて今に至る。当然身元も明かすことになったが未だにバタついているであろう吉良家からは暫く人が来ることはなさそうだ。
孤児院の生活からどうやってこんな怪我をするのかと散々問い詰められたが、樹海で遊んでいたら足を滑らせた。そう言うしかなかった。大人は皆変な顔をした。当然だと思う。
手術後に目を覚まし、視線がこちらへ動いた瞬間「風介」と呼んでやれば寝ぼけたように笑った。
ガゼルはここまでで止めた。
泥だらけのユニフォームは既に脱いでいた。
目覚めて暫くすると風介は目を細めたり思い切り瞑ったりしていた。近寄れば髪を触られた。そういえばこの赤が好きだとか言っていたなと思っていたら急に顔をつかまれ一気に距離を縮められた。
驚いたように少し見開かれたミントブルーの瞳に自分の黄金色が映るのを認めた瞬間、風介は俺の顔を掴んでいた手を自分の目に当てて溜息を吐いた。
見えない。と一言呟いてナースコールに手を伸ばした風介を怪訝に思ったが、理由は数分後に知ることが出来た。
風介のミントブルーが色を認めなくなって2週間になる。こいつはろくに食事をしない。
曰く「食べる気がしない」そうだ。俺にはよくわからないが、およそ食べ物の色をしていないのだろう。これは。何せ灰色だ。
全てがモノクロに見えるというのは大変生き辛そうだと思う。水なんかはまだいいがジュースなんてセメントを飲むようでとても。そうコップをつき返されたのはもう1週間も前の話だ。なみなみと注がれたオレンジジュースは俺が美味しくいただいておいた。
「あの時、お前死ぬんじゃないかと思ったよ」言えば風介は薄く笑うだけで何も返さなかった。色を失くす程度でよかったななんて、言ったらどうなっていただろう。
命と天秤にかけられるものなのだろうか。俺は失っていないからわからない。
君の持つ色彩がとても好き。そう言って笑うガゼルが幸せそうに見えたのは気のせいではなかったろうか。
今俺を見る風介の瞳が濁っているように感じるのは単なる勘違いだろうと、過去に燃えるようだと例えられた髪を揺らした。
風介の好きな赤も金も、もう存在しない。一度閉じ込めた不安が滲み出したような気がしたが、思考が鈍くなってよくわからない。薄暗い一室での自分を思い出す。お前の世界における俺の価値は、失われたのではないだろうか。
ミントブルーの瞳が濁っているように感じるのは単なる勘違いだろうかと。彼の好きな黄金で見つめれば
風介は薄く笑うだけだった。